『からゆきさん』 から
ちゃみさんのお話会で思い出していたこと。
森崎和江・著『からゆきさん』(1976/昭和51・朝日新聞社)
という本があります。
私が持っているのは、
昔、古本屋で買った朝日文庫版、1980年初版です。
戦前、貧しかった日本の娘たちは
口べらしに、海外の女郎宿へ売られていくことが多く、
彼女たちは『からゆきさん』と呼ばれました。
その様子を女性としての共感・あたたかさと
怒りをもって丁寧につづった、
血のにじむ大作です。
そのなかに、こんな文章があります。
昔、九州の村むらで、思春期の若者たちが集まる
「若衆宿」「娘宿」があった様子につづく文章です。
(読みやすいように、改行を加えました。)
この文章のあたたかさに、胸を打たれます。
*****
わたしはからゆきさんがこのような風土のなかで育ったことを
心にとめておきたいのである。
ここにはりくつぬきの、幅ひろい性愛がある。
それは数人の異性との性愛を不純とみることのない、
むしろ、性が人間としてのやさしさやあたたかさの源であることを、
確認しあうような素朴なすがたがある。
それは同じ村の人びとのあいだのことだからこそ、
手がたい生活の一面として、
おおらかに、傷つきあうことすくなく、伝えられてきている。
村の少女たちはこのなかではぐくまれた感情以外には、
性についての感じ方、考え方をしらなかったろう。
たとえば武士階級がつたえて、
やがて中産階級が生活規範とした
家父長的な性道徳や貞操観念は、
かれらには無縁のものであったろう。
村から外へ出るときも、
娘たちは娘宿ではぐくまれた感情を
心にたたえた娘のままであったにちがいない。
人間をやさしく抱擁するという感じ方を持つ子らは、
人を疑う力にとぼしく、
たのまれればふところへ抱きこむことを、
生きることだと考えたことだろう。
シベリアでは日本の少女は子守りとしてたいそうよろこばれた。
ロシアの幼児らがしたってはなれなかった。
こんな記事をわたしは読みながら、
子守りも女中も娼妓もひとしく奉公といい、
それらの間にことさらの差別をしなかったふるさとを思った。
これらの生活感情にさわっていないと、
たとえば姉妹だけで娼楼を営んでいたり、
ふるさとから娼楼へ妹たちを呼び寄せたりする娘たちの、
その血汐は感じとれない。
わたしはこの村むらの伝統を悪用したものにいきどおりを感じている。
村むらは貧しかったのだ。
が、そのひもじく、寒いくらしの底にこの血汐は流れつづけた。
おおらかで、そしてふてぶてしいエネルギーを脈々と流してきた。
この気脈なしに娘たちも村びとも
「からゆき」を生きぬくことはできなかった。
新しい国家としての明治日本は、
出稼ぎするほかにはひもじさを癒せない人びとに対して、
全くなんの力にもならなかった。
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